種もらい祭りは乱交パーティ

江戸時代の枕絵(春画)には、開放的な構図の物がとても多いです。縁側でのセックス、物干し台や濡れ縁、窓辺や廊下、など外が丸見えの場所での性行為が描かれています。外を歩く人から見えても仕方ないような場所での性行為が、しばしば行われていたのかもしれません。

部屋の中での行為の場面でも、障子やふすまが開けっ放しになっていることもあります。屋外での性行為も数々あります。「好色五人女」には、大勢で獅子舞見物に出かけたときに、男に夢中になった女性が、野に張られた幕の内側に入って、こっそり性交する話も登場します。

こうしたスリルを味わうタイプのセックスの他に、もっと開放的な性行為もありました。乱交です。

雑魚寝で乱交

「好色一代男」にも登場しますが、「大原の雑魚寝」は、性の無礼講です。節分の夜に男女が神社に雑魚寝で泊まり、誰と誰が性交しても許されるという乱交の祭りです。同様のことは全国各地で行われていて、「種もらい祭り」とも呼ばれていました。男性はこの日のために、江戸時代の強精剤である「ハチミツ」を食べたり、「オットセイノペニス」を飲んだりして備えていました。

狭い農村部では、近親者同士の結婚が増えてしまうため、外部の種をもらって、血の健全化を図ることが目的だったと言われています。もともとは、皆で集まって子孫繁栄を祈るような場であったものが、乱交に変化したとも言われます。

誰の子だかわからないのが普通

「大原の雑魚寝」や「種もらい祭り」が許容される背景には、そもそも誰の子なのかがわからないということがありました。血液型がわからないため、男も女もあちらこちらで不倫をしている時代には、生まれた子どもの父親が誰なのかは正確にはわかりません。

そのため、乱交パーティで生まれた子どもであっても、あまり問題にはならなかったものと考えられます。里子や養子縁組なども頻繁に行われているので、血縁関係のない親子も珍しくはありません。

地方の村では「夜這い」の制度が、若衆組、娘組による管理の下、公然と行われていたと言われます。男性が女性のところを夜訪ねていき、女性は誰が来ても受け入れてセックスする習慣は、珍しくありませんでした。そこで結ばれ、子どもができても結婚に直結するわけではなく、また、既婚女性に夜這いをすることもありました。田植えや稲刈りの最中に、女性が後ろから性交させるということもしばしばあったようです。

江戸時代には、開放的な性も存在していました。農村部では「夜這い」の制度が公認され、「種もらい祭り」では乱交も行われていました。

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