江戸時代も離婚は多かった?

結婚したら墓場まで一緒に入るのが夫婦の理想像。しかし、そんな美意識を打ち砕くように、最近の男女は結婚してもすぐ別れます。「現代は家族の絆が薄れている」とマスコミ等は騒ぎますが、昔はそうではなかったのか?戦国時代の文献や、江戸時代にあった制度を通して見ていきましょう。

女性から離婚を言い出せたのは日本だけ?

戦国時代に日本にやってきた宣教師にルイス・フロイスという人がいました。キリスト教の布教に専心した彼は、織田信長や豊臣秀吉とも面会を果たし、日本社会の風習や文化、習慣、制度などに興味を示したといわれます。彼が日本滞在中に得た見聞をまとめた著書「日本史」には、こんな興味深い一文が出てきます。

「日本では、連れ添った夫婦が離婚する場合、夫からそれを申し出ることはもちろん可能だが、妻のほうでもその権利を有する。これはヨーロッパではあり得ない」フロイスは、女性が離婚を申し出られる立場にあることに驚いたみたいです。そして、女性にもそのような権利を所有させる社会の寛容度に強い関心を示した様子がうかがえます。

ヨーロッパ人は、神の前でお互い愛し合うことを誓い、夫婦となります。つまり、離婚するということは、神の前で立てた誓いを破ることを意味します。まして、女性の方からそれを言い出す権利が与えられるなんて想像もしませんでした。ところが日本では、離婚も自由、その意思を女性が持つこともおとがめなし、といいますから、この時代から意外と日本人夫婦の離婚は多かったことが予想されます。

江戸時代の「縁切寺」

戦国時代では男女双方離婚を申し出ることができた日本社会も、江戸時代になるとやや後退します。江戸時代では、離婚を申し出る際は、離縁状を役所に提出します。いわゆる三行半というものですが、離縁状は夫のみに権利があり、妻にはその権限がありませんでした。

しかし、離婚したい女性にも、救済の手段はありました。縁切寺と呼ばれるお寺がそれです。俗に言う「駆け込み寺」というもので、夫の暴力に悩まされるなどして離縁を決意した妻が、縁切寺に駆け込み、訴訟を起こします。現代でいう家庭裁判所のような役目を果たしつつ、離婚したくてもできない女性を救済する役割も担っていました。

縁切寺として有名なのが、鎌倉にある東慶寺です。駆け込みがあると、まず御用宿とよばれる施設に泊まってもらい、寺役人がそこで事情を聞きます。そして女性側の親を呼び出し、まずは娘に復縁を再考するよう依頼。それでも別れると言えば、親に夫と掛け合ってもらって示談するように伝えます。なおも離婚の意思が強ければ、東慶寺が仲介して話をまとめ、何とか収めたといいます。

結婚も離婚も意外と自由な日本社会

今の家族のあり方だけ見れば、「日本人も家族を大切にしなくなった」と考える方がいるかもしれません。しかし、歴史を細かく見ていけば、夫婦の別れは昔からよくある話で、それに対して社会全体が寛容で、救済するシステムもあったことがうかがえます。決して離婚を勧めるわけではありませんが、離婚の数が多いからといってそれほど騒ぐ必要もなく、結婚に対してもっと柔軟に考えていいのかもしれませんね。

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