島崎藤村に金と身体をむしりとられた妻冬子

島崎藤村と言えば、「破壊」「や「夜明け前」などの作品で知られる小説家であり、「若菜集」などで知られる詩人でもあります。「まだあげ初(そ)めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛(はなぐし)の 花ある君と思ひけり」といったロマンチックな詩は、特に女性に人気が高く、それゆえ実際の私生活でもモテモテでした。青年時代の藤村は明治女学校の英語教師をしており、女子生徒の人気のマトとなります。若く性欲の強い「モテモテ」の青年教師が、まだ青い女子生徒に関心を抱かないはずはありません。そんな刃にかかったひとりが、最初の妻冬子だったのです。

女生徒に手を出して学校をクビになった経歴があった!?

藤村は22才のときに一度学校教師を退職しています。当時「授業が面白い」「若くハンサム」「ロマンチック」などの理由で教え子たちから絶大な人気を得ていた藤村は、何人かの生徒と恋愛関係に陥りました。今でこそ、そうした行為は「淫行」として厳しく罰せられますが、当時はまだそれほどでもありませんでした。他にもそうした不届きな教師がいたのです。学校は恋愛の教室でもある、と考える教師は少なからずいましたし、藤村も例外ではなかっただけのことです。

女生徒との交際のうち、佐藤輔子(さとう すけこ)という女性との恋はかなり真剣なものでした。ただ、藤村の方では結婚も意識していたものの、輔子の方ではそうでもなかったようで、結局は他の男性と結婚してしまいます。その失恋の痛手もあり、教師の職を辞したのです。そして、1年後に復職しましたが、その翌年、輔子の病死の知らせをうけ、以降、抜け殻のような人間になってしまいます。

失意の中で出会った女生徒冬子

そうした時に出会ったのが冬子です。函館の漁網問屋の三女として裕福な家庭に育った冬子は、16才で上京して明治女学校に通い始めます。学業優秀で目立ち、モヌケだった藤村はしだいに冬子に魅かれていきます。知性と美貌に加えて「裕福な実家」を持つ冬子は結婚相手としては最高です。小説家は「貧乏」が当たり前であり、自分の作品を出版するにも資金が必要でした。そうして、藤村28才、冬子22才のときに、ふたりは結婚します。

性生活は活発で、冬子はたちまち妊娠します。5年で3人の女子を産み、さらに立て続けに男子を3人もうけました。この間、極度の貧乏生活が続き、冬子は幼い子供の面倒をみながら、藤村の不満のはけ口としていたぶられ続けました。一方藤村の小説「破壊」を出版するために、冬子の実家になきつき、自費出版の費用も出してもらいます。

そんな中、3人の娘たちは続けて病死してしまいます。栄養不足や不衛生な生活が原因だったのでしょう。そして、4人目の女子を出産して間もなく、産後の出血が原因で亡くなってしまいました。

冬子亡き後の藤村は、「破壊」のヒットもあり金まわりが良くなります。それをいいことに、さらに女性遍歴を重ねていきました。作家として成功する前の藤村は、冬子の初恋の相手に手紙を出して嫌がらせをしたり、ねちねちと嫌味を言ったりして冬子をいたぶったと言われています。11年間で7人の子を産み育て、夫を支え続けても、彼女の得たものは何もなかったのかも知れません。誠にかわいそうな死にざまだったと言えるでしょう。

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