後期高齢者の希望の星?白河法皇の超絶精力パワー

国語の授業で習う平家物語。「源氏と平家が戦った」くらいはみんな知っていても、白河法皇の存在について知っている人はそれほど多くはないでしょう。しかし、「日本性史」というジャンルがあれば、間違いなく大きく取り上げられる人物です。一体白河法皇とはどんなことをして有名になった人でしょうか?見ていきましょう。

院政で絶大な権力

白河法皇は、後三条天皇の第一皇子として生まれました。当時は藤原一族が朝廷内で絶大な権力を握り、藤原氏と姻戚関係にない法皇は父と同様、冷遇される状況にありました。しかし、藤原系の皇位継承者が見つからず後三条天皇が即位すると風向きが変わり、父の病没後、自身も20歳で即位します。

老獪な白河天皇は、息子の堀河天皇に皇位を譲った後も院内において影の実力者として君臨します。そして堀河天皇が亡くなり、孫である鳥羽天皇が即位した後も、引き続き治天の君として権力を振るいます。朝廷の政治権力を藤原氏から皇族に取り戻したのも白河法皇の力によるところが大きかったといえるでしょう。

新たに即位した鳥羽天皇ですが、祖父である白河法皇の女性問題のため、後々悲しい運命に翻弄されるようになります。そしてその性癖が、歴史を大きく動かすきっかけともなるのです。

年老いて目覚めた精力パワー

白河法皇の最初の后は、藤原賢子といいました。法皇はこの女性を大変寵愛したといいます。しかし、不幸にも賢子に若くして先立たれます。この時の法皇の落胆と憔悴ぶりは傍目から見て痛ましいほどであったといいます。

そんな法皇ですが、年老いてから見違えるように女性関係が派手になります。京都で踊り子をしていた祇園女御を寵愛しますが、彼女はやがて平忠盛という武家の実力者に嫁いでいきます。しかし、この時すでに女御は法皇の種を宿していて、その後生まれたのが平清盛であったと言われています。つまり、「殿上人」まで上りつめた武家の星・平清盛は、白河法皇の御落胤であったというのです。

祇園女御は、鳥羽天皇の后である待賢門院璋子の養育係でもありました。つまり、璋子は絶倫の白河法皇を身近に感じながら生活していたことになります。このとき、璋子はまだ十代。50歳近く年上の白河法皇は、この璋子と奥の院で肉体関係を持ち、若い肉体を欲望の赴くまま、欲しいままにしました。そして璋子は鳥羽天皇に入内、崇徳天皇を生みますが、この天皇もまた、白河法皇の落し胤といわれています。

祖父の愛人をあてがわれた鳥羽天皇は、当然面白くありません。息子といわれる崇徳天皇も、実は祖父との間の子である可能性が濃厚であり、次第に憎悪をつのらせていきます。この天皇同士の不仲が、やがて保元の乱という歴史上の大事件の一因にもなるのです。

両刀使いという噂も

年を取ってから目覚めたように女性を抱きまくった白河法皇ですが、実は男色の性癖もあったといわれます。白河法皇と院内で肉体関係を持った近臣は少なくないらしく、男も女も手当たり次第に可愛がった精力には閉口してしまいます。

しかし、白河法皇を見ていると、高齢者になっても「まだまだ元気でいられるんだ」と勇気づけられる方も多いでしょう。EDなどで悩む現代人が多い中、若者も含めて大いに励みになるのではないでしょうか。

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