帝国海軍の雄・山本五十六の純愛

真珠湾攻撃、ミッドウェー作戦…。日米戦争の重大局面で連合艦隊の総指揮を努めた山本五十六には、恋い焦がれた愛人がいました。彼は戦争のさなか、戦艦大和に乗艦中も愛人に手紙を出すことを惜しみませんでした。乗艦中の旗艦からこっそり抜け出して逢引することも…。帝国海軍提督として輝かしい実績と名声を手にした山本司令長官の恋愛心情とは?見ていきましょう。

愛人・河合千代子

山本が恋い焦がれた愛人・河合美代子と出会ったのは、昭和8年の夏。彼女がまだ新橋芸者だった頃でした。当時山本には妻がいましたが、性格も正反対の山本とは喧嘩が絶えなかったらしく、家庭も冷え切っていました。一方の千代子は30歳で芸者の世界に身を投じた苦労人。重責を担う山本とは意気投合し、会うたびに愛情も深まっていったといいます。

千代子は昭和12年に芸者を引退し、料亭の女将となります。東京芝の神谷町に新居を構え、そこを山本との愛の住処としました。燃え上がる二人の恋情は誰にも止められず、戦争の暗雲が近づく情勢になってもその関係は終わりませんでした。むしろ、戦争が近づいて時代がきな臭くなるほど、二人の愛は激しく、大きくなっていくのです。

やがて日米開戦。山本司令長官指揮のもと敢行された真珠湾奇襲攻撃は大成功を収め、日本中が沸き立ちました。同じ頃、千代子が鏡台に置いていたバラの花が散ったといわれます。彼女はどんな心境で開戦の臨時ニュースを聞いたのでしょうか。

重大作戦前にこっそり逢引

山本は、戦争が開始した後も、太平洋上から千代子への手紙を送り続けました。「方々から手紙が山のごとく来ますが、たった一人千代子の手紙ばかりを朝夕恋しくまっております」など、その文面からはとても戦争中とは思えない、恋に没頭する純真な心情がうかがえます。指揮官の恋心は、配下の従兵にも伝わっていました。彼らは、提督の心情を察し、束になって届いた手紙の一番上を千代子のものにする配慮を怠らなかったといわれます。

ミッドウェー作戦の直前、山本は呉軍港に降り立ちます。千代子に会うためです。その時、千代子は助膜炎を患い、とても動ける状態ではなかったのですが、山本の「早く会いたい」という電話に押され、汽車に飛び乗ります。山本は人目をはばかり、眼鏡とマスクで顔を隠して千代子と再会を果たしました。二人は呉の菊川旅館で幾晩かを過ごします。これが、山本と千代子の最後の逢瀬となりました。

ミッドウェー作戦で、日本側は空母四隻を失う大惨敗を喫します。千代子と密会を遂げる極秘作戦には成功したものの、日本の命運を賭けた一大決戦では勝利の女神に見放されてしまったのです。

山本の死と、戦後の千代子

昭和18年4月、山本は戦場視察のためラバウルへ向かう途中のフィリピン・ブーゲンビル島の上空で米軍機に撃墜され、その生涯を閉じます。山本の千代子への手紙は、十年間で30センチ以上積み上がったといわれます。

その手紙は非情にも軍から焼却命令が下されますが、千代子は頑強に抵抗して20通弱の手紙を残しました。戦後、千代子は沼津に転居して料亭の女将となり、健気に敗戦後の日本社会を生き抜きます。その姿に、天国の山本もほっと胸をなで下ろしたことでしょう。

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