平安時代の浮かれ女・和泉式部の華麗なる恋愛遍歴

紫式部に「けしからん」と評されるほど、男癖が悪かったといわれる平安時代の女流歌人・和泉式部。彼女は当世一流の歌い手でありながら、複数の皇族身分の男性と浮き名を流すなど、派手な男性遍歴を持った女性として有名です。しかし、彼女がなぜ、そこまで男達に持てたのか、疑問を持たれている面があるのも事実です。ここでは、そんなミステリアスな女流歌人の魅力の秘密に迫ってみます。

和泉の式部とは?

和泉式部は、平安時代中期に活躍した歌人です。中古三十六歌仙、女房三六歌仙の一人に数えられています。母親は昌子内親王の乳母である介内侍といわれていますが、はっきりとしたことは分かりません。

出生は貞元元年(976)年頃といわれます。父母ともに昌子内親王に使えていたとみられ、幼い頃より宮廷内で生活していたことが想像されます。しかし、父母がどんな身分の人だったのかなど、出生に関する確かな情報が乏しいため、彼女の家柄や身分については謎に包まれています。

和泉式部と噂になった男たち

和泉式部は、「浮かれ女」という代名詞で有名です。そんな不名誉なレッテルが貼られるほど、彼女は数多くの男性と浮き名を流しました。彼女の書いた日記から噂になった男性の名を挙げていくと、夫である橘道貞や藤原保昌の他、為尊親王や敦道親王などの皇族、または源俊賢や藤原頼宗などの宮廷貴族など。いずれも家柄も地位も実力も一流の男達です。

式部が凄いのは、それほど身分が高くない家柄でありながら、皇位継承権を持った皇族二人と真剣恋愛していたという事実です。しかも、この時の式部はバツイチ。スネに傷を持つ身です。高貴な身分である二人の男性を虜にしてしまったのですから、よほどの美貌を持っていたのでしょう。歌の実力もさることながら、男の官能を刺激するテクニックも凄かったのではないでしょうか?

特に、敦道親王の式部に対する入れ込み具合は半端ではなかったといいます。ある日、親王が式部を連れてお祭りの見物に出かけた際、式部が乗っていた側のすだれだけ下ろしてその姿を民衆から隠しました。これは、「この女だけは絶対渡さないぞ」という、親王の強い意志と決意の表われとも言われています。そこまで親王を魅了してやまなかったのは、まさに式部の「魔性の女」としての力ではないでしょうか。

人気の秘密は、歌にあり?

和泉式部のモテモテ振りは当時から有名でした。冒頭、紫式部の評価を伝えたように、世間の和泉の式部の評判は芳しいものではなく、「浮かれ女」などと陰口をたたかれる始末だったといわれます。

「源氏物語」の世界を見れば分かるように、この時代の宮廷社会に生きる男と女は性に関して開放的で、結婚していようがしていまいが肉体関係を結ぶことは日常茶飯事といえました。しかし、彼女はもともと宮使えするような高貴な身分ではないにも関わらず、二人の親王を虜にするなど、噂も立ちやすい恋愛をしたため、批判も多かったのでしょう。しかし、そんな彼女がなぜ、それほど多くの男性を虜にしたのでしょうか?

それは、彼女の歌人としての才能にあるといわれます。彼女の有名な歌に「ものおもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづるたまかとぞ見る」というのがあります。これは、「いざとなれば、心が蛍のように飛んでいってあなたのところへ向かいます」という激烈な恋心を歌ったものです。彼女は、類いまれな歌の天分を持っていました。現代でいう、心をときめかすフレーズを生み出す天才だったといえるでしょう。彼女はその美貌もさることながら、男心をくすぐる言葉使いの天才であったともいえるでしょう。

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