老いらくの恋に悩んだ超エリート川田順

超エリートの川田順は歌人としても名をはせた人。歌手の佐良直美の親戚でもあります。60を過ぎてから不倫の果てに自殺未遂をおこし、マスコミに騒がれました。彼の書いた詩の一節「墓場に近き老いらくの 恋は、怖るる何ものもなし」から、高齢者の恋愛を「老いらくの恋」と呼ぶようになりました。

超エリートの経歴

川田順は1882年、明治15年の生まれ。子どものころから神童と呼ばれ、東大の法学部を卒業します。1907年に、財閥解体前の住友グループの中枢である「住友総本社」に入社。エリートサラリーマンとして活躍します。48才で住友総本社の常務理事(現在なら常務取締役)に就任し、出世街道のトップを走り、次期社長の椅子が確定します。

川田はサラリーマンのかたわら短歌の世界でも活躍しており、「自分は社長の器ではない」と54才で退職して歌人としての道を歩み始めます。超エリートの華麗なる転身です。皇太子の作歌指導や、歌会始の撰者もつとめるなど、歌人としてもトップクラスの地位につきました。60才を前にして妻を亡くし、残りの生涯を歌に捧げて生きていこうと決意します。

運命の出会いと老いらくの恋

短歌の教室を開いていた川田順は、64才のときに新入の弟子中川俊子と運命の出会いをします。俊子は京大教授の妻で、37才。27才も歳の差がありましたが、ふたりはあっという間に惹かれあい深い関係になります。俊子と出会った時のことを、川田は歌に残しました。

樫の実のひとり者にて終わらむと思へるときに君現はれぬ

不倫の恋はタブーだからと何度も別れようとしますが、別れられません。そのうちに、俊子の夫に不倫がばれてしまい、ふたりは別れることを約束します。しかし、別れられません。俊子は夫と離婚し実家に戻ります。川田順は、他人の家庭を壊してしまったことに悩みます。いい歳をした紳士のすべきふるまいではなかったと心悩み、死を決意しました。

そうして、知人たちに遺書を残して自殺をはかりますが、死ねませんでした。これがマスコミに知られることとなり、「老いらくの恋」と騒がれました。結局二人は結婚し、川田が84才で亡くなるまで幸せに暮らし、「老いらくの恋」は、ハッピーエンドに終わりました。

吾が髪の白きに恥づるいとまなし溺るるばかり愛(かな)しきものを

60を過ぎて死ぬほどの恋をした川田順の姿は、誰もが「かっこいい」と憧れるものではないでしょうか?

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