悪妻と言われながらも漱石を虜にしていた妻鏡子

夏目漱石と言えば、明治時代の日本を代表するベストセラー作家。「坊っちゃん」「吾輩は猫である」などのユニークな小説の数々を残しています。ユーモラスな作品群は、漱石自身の性格から生まれたと思われがちですが、実際にはそうではありません。夏目漱石は、頑固で一徹な学者肌の人物でした。英国留学時には、現地での生活に合わないことと、物価が高くて貧乏生活を強いられたことなどからうつ病にかかってしまったほどで、精神的には決して安定していたわけではありません。そんな漱石を精神面で支え、豊かな性生活で盛り立てたのが、妻の鏡子でした。彼女なくしては、漱石の成功はなかったかもしれません。

悪妻の汚名を着せられた鏡子

夏目漱石の妻鏡子が「悪妻」と呼ばれることになったのは、漱石の弟子たちの評判が良くなかったからだと考えられます。小説家として有名になった漱石は多くの書生を抱えていました。門人たちの中には真面目な好青年もいましたが、多くは貧しくいかがわしい連中ばかりです。当時、小説家を目指そうなどという人間にまともな人は少なかったのです。

酒癖がとことん悪く暴れる性質の鈴木三重吉、人の家にお世話になりながら一度にトンカツを6枚も食す内田百間、勝手に出前を注文してしまう高浜虚子、出前をとるときに上うなぎ丼ばかりを頼む小宮豊隆。いずれも、漱石の死後に、鏡子の悪口を言い触らしています。鏡子はうつ病に苦しむ漱石の面倒をみつつ、子どもの世話をし、かつ、こうした門人たちの身の周りの世話もしていたのです。ガミガミと嫌味を言うのは当然だったでしょう。悪いのは、さんざんタダメシをごちそうになり世話になりながら、恩をアダで返すようなことをした門人たちだったのです。

性的には深いつながりのあった漱石と鏡子

漱石と鏡子は10才違い。当時漱石は熊本五高の高校教師で、給料は決して高くはありませんでした。貴族院の書記官の娘として生まれ、育ちの良い娘が知らない土地で貧乏生活を始めたのですから、生活はとても大変だったはずです。それなのに、漱石は「自分は学者だから妻のことになどかまっていられない」と鏡子に宣言して、家庭を顧みることはありませんでした。そんな夫に対して、鏡子はけなげにつくします。

漱石がイギリス留学から帰国しうつ病に苦しんでいる時期にも、夫の「離婚だ!」という暴言に耐えながら、支え続けました。夫の暴言は神経衰弱のせいだから、と温かく見守ったのです。うつ病になると性的にも衰えます。EDになり性生活がうまくいかなくなる男性も少なくありません。現代ならバイアグラで治療するのでしょうけれど、当時はそんな薬はまだありません。鏡子のやさしさと性的な魅力やテクニックで、活発な夫婦生活を維持したのです。

ケンカの絶えない毎日の中でもセックスライフは充実しており、鏡子は次々と子どもを産みました。14年間の結婚生活で、7人の子をもうけているのですから、妊娠期間を考えると、出産してはまたすぐに作り、の繰りかえしだったのです。

悪妻という汚名を着せられた鏡子ですが、彼女がいなければ、漱石は作家としての仕事に集中はできなかったでしょう。カンシャク持ちの夫を支え続けた良妻だったのです。

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