恩義に報いるために死んだ武将とその後を追った妻 鳥海信道と花輪

現代社会で社内恋愛禁止のような会社もありますよね。実は戦国時代にもこのような話はありました。その一つが現在の山形県付近を治めていた最上義光の治める最上家のエピソードです。

恋愛禁止が言い渡されていた最上家

最上家はなんと家訓に「男女の密通を禁ず」と言うものがありました。要は社内恋愛禁止のようなもので破れば厳しく処罰されるものでした。特に戦国時代の終わりから江戸時代のはじめにかけての当主だった最上義光は戦場では勇猛果敢、頭も切れる策略家で知られる有能な人物でした。そんな彼は規律に厳しい人物で知られ、それが原因となり家中で騒動が起きます。

鳥海信道と花輪

その騒動というのが鳥海信道と最上義光夫人の侍女を努めていた花輪の密通事件です。彼は最上義光の継室にあたる女性の侍女だった花輪と知り合い、恋文をやり取りするようになります。しかし、これが義光に知られると義光は家訓を破ったということで彼を死罪にしてしまおうとします。その時、義光の家臣の鮭延秀綱がやってきました。鳥海信道は彼の部下で、昔の戦いで勝利に貢献する武功を挙げていることを説明し彼の死罪はもったいないと説得します。優秀な人材を惜しむ義光は鮭延の説得を聞き入れ、鳥海信道と花輪の結婚を認めました。そして時が流れて1600年天下分け目の戦い、関が原の戦いが起こります。

東北の関が原、慶長出羽合戦

最上義光は過去に豊臣秀吉に自分の娘、駒姫をある騒動で処刑されていたこともあって東軍の徳川家康に付きます。そのため最上勢は東北の大勢力で徳川家康と敵対していた西軍の上杉景勝と争いになります。上杉が最上領の長谷堂城を攻撃します。これが慶長出羽合戦です。この戦いでは上杉の名将、直江兼続が2万を引き連れ攻撃、対して長谷堂城は1000人で防衛します。

この戦いに加勢したのが鮭延秀綱とその家臣鳥海信道です。彼らは少ない兵力で上杉勢を攻撃、混乱を引き起こし直江兼続の本陣に迫りますが多勢に無勢。彼らに対して直江兼続は鉄砲をうちかけます。鮭延秀綱ももはやこれまで、というところをなんと鳥海信道が彼をかばいました。彼は昔鮭延のお陰で命を救われ、花輪の結婚が出来たことに感謝しており、その恩返しとして身を挺したのです。全身に銃弾を浴びた鳥海は鮭延に最上家のために生きてほしいと伝えるとそのまま亡くなります。このことで本陣を前にして鮭延秀綱は撤退。その後長谷堂城は伊達の援軍に助けられ不利な状況が続くも上杉勢にも重臣を戦死させるとい損害をだし、関ヶ原の決着がついたことで慶長出羽合戦は終わりました。

夫の後を追う花輪

その後、鮭延は遺体を鳥海信道の妻、花輪に引き渡しました。花輪は夫の葬儀を1人でと知り切ります。その葬儀の際に鮭延が弔意を言うと、鮭延に救われた命で幸せが得られたのだからその生命を主君のために投げ出すのは当然です、と答えたそうです。その後花輪は夫、鳥海信道の後をおって自殺、18年の生涯を終えました。夫婦生活はなんと半年だったそうです。

後に鳥海信道の遺書を見た最上義光はかつて二人を処罰しようとしたことに恥を感じ、涙したそうです。後に鳥海信道、花輪夫妻を丁重に弔ったと言われています。この話は人情家でもあった最上義光のエピソードとしても伝わっています。

Copyright(c) 2013 日本の歴史に見る恋 ~平安時代から近代までの日本人の恋愛模様 All Rights Reserved.