嫉妬深さで夫を恐れさせた北条政子

北条政子は平治の乱で敗れた源義朝の息子、源頼朝が伊豆へ流罪になった際に彼と知り合い、彼を慕うようになりのちに源氏再興に貢献することになった女性です。しかしそんな彼女はその嫉妬深さで夫の頼朝も恐れさせました。

尼将軍、北条政子

北条政子は鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室です。元々伊豆の豪族で頼朝の監視をしていた父、北条時政の娘で流刑によって伊豆にいた頼朝と親しくなり最初は父親に反対されますがその反対を押し切って彼の妻となり、北条氏は頼朝の平氏打倒の中心勢力となっていきます。頼朝が鎌倉幕府を樹立すると妻として支え、頼朝の死後は尼となりますが頼朝の後を継いだ息子たちも早くになくしてしまいますが、外から将軍を迎え入れ尼将軍としてその死まで実権を握り続けました。

夫も恐れる嫉妬深さ

頼朝の平氏追討に貢献した女性でもありますが、実はものすごく嫉妬深い女性であることがわかっています。この頃、武士が多くの女性と関わりを持つのは当然の行いでしたから頼朝も同様に多くの女性と密通するようになります。その1人が亀の前です。このことを知った妊娠中の政子は彼女の済む家を打ち壊させました。この他にも北条氏よりも身分の高い、同じ源氏の出の新田氏の娘を頼朝が妻に迎えようとしますが政子の嫉妬深さを恐れて実現しなかったと言われています。

これは源氏の出の頼朝と自分が地方豪族の身分の低い出であることを気にして、その地位を安定させたいがための行為だったと言われています。

北条政子の優しい一面

夫の浮気には厳しい北条政子でしたが女性らしい優しい一面も持ち合わせています。有名なのは源頼朝の弟、義経の愛妾、静御前のエピソードです。頼朝と義経が対立し義経は奥州の藤原氏を頼ります。静御前も同行しますがその途中で捕らえられました。北条政子は彼女が白拍子の名手であることから舞を踊って欲しいと頼みますが、最初は断られるも政子が何度も頼み込むため鶴岡八幡宮で踊ることになりました。頼朝、政子夫妻の前で舞ったのは義経を慕う歌だったことから頼朝の逆鱗に触れますが、政子は自分と頼朝の馴れ初めを挙げて頼朝の怒りを解きました。

その後静御前が義経の子供を妊娠していることが発覚し、子供は鎌倉の由比ヶ浜に埋められました。この時政子は頼朝に子供の助命をしていますが聞き入れられず、後に京都に戻る静御前に多くの品物を送っています。

子煩悩な母親な一面も

一方で自分の子供に対しては子煩悩な面を見せることもありました。一時対立していた源義仲の息子、義高と頼朝の娘の大姫の婚姻です。二人の中は非常に良かったのですが、義仲が再び頼朝と対立し義仲が敗死し、義高も殺されてしまいました。これが原因で大姫は心身ともに衰弱、政子は義高を殺したことが原因だと頼朝に詰め寄り、結果義高を殺した追手を打ち首にすることになりましたが大姫は20歳の若さで亡くなります。大姫が亡くなった時は政子も死のうと思うほど悲しみ、頼朝の説得で思いとどまったと言われています。

一方で家を守るために非情な決断もしており、頼朝の死後に暴走する2代将軍頼家を戒めるも北条氏との確執が表面化すると暗殺に踏み切り、これが原因で3代将軍の実朝も暗殺されることにもなっています。

北条政子は後世に嫉妬深さや夫の死後に権力を握ったことから悪女という評価を受けましたが実は情深い一面や子供の思いなところもあったのです。

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