遊女もいました

もっとも古くからある職業の一つと言われる「売春婦」が、日本にいつごろからあったのかは定かではありませんが、すでに平安時代には職業として存在していました。現代とは少し違って、職業人として働く男性と同等な扱いを受けていたようです。

結婚しても、女性は家には入らない時代の性愛

平安の世は、道端で出会った男女が近くの小屋で性行為をしてしまったり、夜ひとりで歩いている女性がそのまま連れ去られたりすることが、ありえた時代です。現代とは性愛に対する考え方も随分違っていたことでしょう。そもそも「結婚」と言っても、女性が男性の住まいに転がり込むような形ではなく、女性の住まいを男性がセックスをしに訪ねていくのが普通でした。

女性は男性が来るのを常に待っているだけです。時には他の男性がやってきて、性交してしまうこともあったでしょう。現代ほどには「結婚」がはっきりとした契約関係になく、物理的にも「別居」していましたので、男女の関係は常にあいまいです。男も女も同時に複数の相手と性的関係にあることも珍しくはなかったでしょう。貧しい女性の中には、お金や物と引き換えに性行為を受け入れる女性がいてもおかしくはありません。「新猿楽記」には、「遊女」がひとつの職業として記載されています。

遊女も立派な「仕事」

「新猿楽記」には、猿楽見物に来た客の一家について詳しく記述してある部分があります。「右衛門慰」という人の一家には妻が3人、娘が16人に婿と夜這い人12人、息子が9人います。婿たちはそれぞれ、ばくち打ちや相撲人、医師、陰陽師などの職業を持っていますが、娘16人のうち職業をもっているのは2人だけ。四女は「かんなぎ」という職についていて、占いをしたり歌や舞をすることが仕事だったようです。十六番目の末娘は「遊女・夜発」をしているとあります。「夜発」(やはつ)は遊女と同じく売春婦のことです。

妻3人に娘と息子合わせて子どもが25人もいる所帯を構えるくらいですので、「右衛門慰」という人はそれなりに身分が高く財力のある人だったと考えられます。それなのに、末娘が売春婦ということは、「遊女」そのものがそれほど卑しい職業とは考えられていなかったのかもしれません。

性行為の具合の良さなども、「琴絃麦歯(きんげんばくし)の徳、飛竜虎歩の用、具せずいふことなし」などと記載されています。Gスポットがよく感じて膣の具合が良くて昇天できる、という意味でしょう。遊女と遊ぶ時は、自信のない男性はハチミツなどを精力剤として飲んでいたようです。

平安時代にはすでに「遊女」が職業として成立していました。現代のような「いかがわしさ」はなかったようです。
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