清少納言の結婚観

清少納言と言えば平安時代の歌人、文筆家の中でも、もっとも有名な人のひとりでしょう。「中古三十六歌仙」「女房三十六歌仙」などにも数えられ、歌人としても一流でしたが、何と言ってもその名を後世に残す役割を果たしたのは「枕草子」でしょう。その中では、女性もキャリアを積んで恋愛もたくさんしてから、結婚するのが良いと書かれています。現代女性に通ずる考え方ではないでしょうか。

男性にライバル心を燃やした清少納言

枕草子」には、世の中のさまざまな風物に関しての感想や、自然に対する興味などが描かれていますが、人物評も多く載せられています。全体として男性に関する描写と比べて、女性に関するものは平凡で簡単です。女性にあまり関心を持たなかったことがうかがえます。

また、身分の高い人に対しては親しみのある表現が多いのに対し、同僚や身分の低い人たちに対しては、辛辣な表現が多いのも特徴です。身分社会の中での自分の立ち位置を意識して目上の人に対しては敬意を表し、同僚以下に対してはライバル心をあらわにしたのでしょう。

清少納言の結婚

清少納言は、966年頃に生まれ1025年ころに59才で亡くなっています。19才で結婚し男子を作りますが性格の不一致で離婚、その後別の男性と結婚して娘をもうけました。27才のころから、一条天皇の皇后である藤原定子(ふじわらのていし)の側仕え「女房」となり、博学や機知にとんだ会話で中宮定子の寵愛を受けます。このころから書き始めた「枕草子」が、大ブームとなり平安時代における人気作家となります。

結婚については、「生い先なく、まめやかに」の段に、その考えが描かれています。なにも知らないウブな女性が、男性経験もなく平凡に結婚することを否定、宮中に仕えて社会勉強をし、男女の機微も実践的に学ぶことを推奨しています。そのうえで、身分が高くて経済的に豊かな人と結婚することが、女性の理想だと述べています。

自らは、処女だったかどうかはともかく、宮仕えすることなく結婚し、離婚後に宮中で働き始めます。たぐいまれなる博識さと機知にとんだ話力で、中宮定子に一目置かれ大切にされるものの、定子が亡くなると自身も失職してしまいます。宮仕え中には何人かの男性と性交渉をもったと考えられますが、仕事を辞めた後は、再婚した夫、藤原棟世の地方転勤について、摂津(大阪北部)で過ごしたと言われています。

清少納言の、キャリアを積み恋愛経験も積んでから財力ある男性と結婚すべき、という考え方は、自身の経験と失敗を踏まえた理想論だったのでしょう。

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