愛人の死のふた月後に自殺をしてみせた有名女優

松井須磨子は明治後期から大正時代にかけての超有名女優です。25才で、坪内逍遥の主催する文芸協会の演劇研究所の一期生となり、あっという間に頭角を現しました。イプセンの「人形の家」では「ノラ」役を演じ、それが大反響を呼びます。バイタリティにあふれ「やりたいことは何でもする」というタイプの、当時としては「新しい」女性でしたので、恋愛に関しても臆するところはありません。好きになった男性が既婚であろうと独身であろうと関係ないのです。

須磨子が惚れたのは、早稲田大学の新進気鋭の教授、文学部長の島村抱月。「早稲田文学」を復刊した人です。もちろん妻がいましたが、須磨子は抱月の下宿先におしかけてその場で肉体関係を結んでしまいました。欲しいものはすぐに手に入れなければ気が済まない女性だったのです。

輝く美貌の新進気鋭女優松井須磨子

須磨子の才能は、他の俳優たちを嫉妬させるほどものでした。女形俳優の花柳章太郎は「自分が女形を演ずるのがいやになるほどの女」と須磨子を評しています。女形の俳優は、女性を観察して「女以上の女」を作りだそうと苦心するものですが、須磨子は「女以上の女」を演じていたのでしょう。とても「男が演じていてはかなわない」レベルの演技だったのです。

ジャーナリストで徳富蘆花の兄であった徳富蘇峰は、「いつ爆発するか分からない浅間山のように、近づきがたい存在」と評し、激情あふれる須磨子の演技をたたえています。須磨子は傑出した才能を開花させた女優だったのです。

好きな男をすぐに奪い取る女

須磨子は文芸協会の師匠でもある坪内逍遥にとって弟子にあたるcに、一目ぼれをしてしまいました。あったその日に「抱かれたい」と思ったのです。そこで、大学近くに下宿先を持っていた抱月のアパートを訪れ、関係を迫ったのです。新進気鋭の人気女優が自ら身体を開いて肉体関係をもとめて来たのですから、断れるはずもありません。抱月には妻がいましたが、そんなことは忘れて結ばれたのです。一度関係を持ってしまえば、後はなだれのように続きます。抱月のアパートには須磨子が入りびたり、毎日関係を持ちました。

しかし、それに怒ったのは抱月の妻。有名人同士の不倫はすぐにマスコミに知られて、報道されます。抱月のアパートにいき、夫を自宅に連れ帰ったのです。ただ、それで諦めるような須磨子ではありません。あいびきのための便利な場所がなくなっただけのこと。ふたりの関係はその後も続きました。

恋人が亡くなると自分も命を絶つ女

抱月はもともと体が強い方ではありませんでした。心臓に欠陥を持っていたため、風邪をこじらせて48才の若さで亡くなってしまいます。抱月の亡骸(なきがら)を抱えて、須磨子は医者に「もう一度、注射を打って」と泣き崩れたそうです。

須磨子が自殺をしたのは、抱月の命日のちょうど2か月後。月命日に当たる日でした。芸術座で「カルメン」の公演をやり遂げた後、ひとりで首を吊ったのです。自殺の原因は明らかではありません。演劇上の悩みを抱えていたとも言われていますが、恐らくは、愛人を失った悲しみが大きすぎたからでしょう。男を奪い取る「新しい女」は、恋に対する執着心も強かったのでしょう。天才女優は、わずか33才で亡くなりました。

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