初めて「ツバメ」を抱えた女・平塚らいてう

最近ではあまり使われなくなってきましたが、女性に食べさせてもらっている愛人男性を「つばめ」と呼びます。「ヒモ」と似ていますが若干異なったニュアンスを持っています。「ヒモ」は男性サイドに主導権があり、「男が女を働かせて自分は楽をしている」状態を指しますが、「つばめ」に対しては女性が主導権を握っており「いつでも捨てられる」状態である点が異なります。また、「ヒモ」はセックスで女性を縛りますが、「つばめ」は女性に奉仕する立場と言えるでしょう。「性的に満足させないと捨てられる」のが、男か女かの違いがあります。

この「つばめ」という呼び方は、平塚らいてうの愛人に対して使われたのが始まりです。ウーマンリブの精神を持ちこみ、女性の権利の獲得や地位向上のための思想的リーダーとなったらいてうは、それまでの「男が女を愛人にする」という概念をひっくり返し、女性ながらにして男性を愛人として囲いました。

「最後のセックス」を断って中止となった心中未遂事件

平塚らいてうは大金持ちのお嬢様として生まれ育ち、幼いころから自分中心のワガママ娘でした。やりたいことは何でもする、男か女かは関係ない、好きになった男はかならず手に入れる、という考えの持ち主で、たぐいまれなるリーダーシップも持っていました。そんな彼女がとことん好きになった男は、夏目漱石の弟子の小説家・森田章平。小説家としてはまったく無名でしたが、らいてうの通っていた成美女子英語学校の教師をしていました。そこで、教え子のらいてうといい仲になってしまったのです。らいてうが口説いたのかも知れません。

教師と教え子という不埒な関係は、許されない恋愛です。ふたりは関係を絶とうとしますが、肉体的に深く結びついていて別れることができません。思い余って、「心中」をすることになります。先進的な思想の持ち主だったらいてうは、「ただ心中するだけでは面白くない」と考え、塩原まで出かけて山の中で死ぬことにしたのです。森田の方では、若い教え子と体で結びついた関係の最後には、やはりセックスをしたいと考えます。塩原の尾頭峠で青空の下で「最後にセックスさせてくれ」とらいてうに頼みますが、彼女は受け入れません。それで、森田はバカバカしくなり怒って帰ってしまいました。ふたりの心中は、セックスするしないで中止となったのです。

はじめての「つばめ」は6才年下の画家

心中未遂事件の後にらいてうが目をつけたのは、若い画家の奥村博史。それまでに、何人かの若者たちを性的なお相手としておもちゃにしていましたが、奥村にはかなり入れあげたのです。結果的には、数年後に籍を入れて「夫」にすることになります。

らいてうは女性運動家たちの手で「青鞜」(せいとう)というウーマンリブの思想の雑誌を発行しますが、その表紙は奥村に描かせました。すべての記事は女性の手によるものでしたが、表紙だけは男性の愛人に任せたことを、雑誌記者に揶揄(やゆ)されます。「水鳥のむれへ、わかいツバメが飛んできて、ひっかきまわした」と表現したのです。それに対し、らいてうは「若いツバメは帰ってくる」と言いかえしています。

その後奥村と結婚したらいてうは、生涯にわたって安定した生活を送りました。「夫の支え」があったのでしょう。

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