次から次へと男を乗りかえた名家の才女

福田英子(ふくだひでこ)は、「妾(めかけ)の半生涯」を著わした明治時代の評論家であり政治活動家でもあります。伝統を重んじる藩士の娘として生まれた才女でありながら、次々と男を乗り換えて奔放な愛と性を求めました。この時代の知性の高い女性の中には、頭のいい男性にひかれ、精神的にも肉体的にも虜になり溺れてしまう女性もいたのです。

小学校を首席卒業して、15才で教師になった才媛だった

福田英子は岡山藩士の三女として生まれ、県立小学校を抜群の成績で卒業して15才にして教壇に立つという天才少女でした。知的な女性によくある通り、思想的な本をたくさん読み、福沢諭吉の「西洋事情」や「学問のすすめ」などの自由主義の本に傾倒し、「人間は平等である」という考え方に魅かれていきます。江戸時代の女性には良妻賢母が求められ、女性は男性の後ろに立ち、目立たないようにするのがたしなみでしたが、英子はそうした生き方とは「逆」を志すようになります。

そこそこの金持ちと結婚してインテリの美人妻として、平穏無事に生きるということが、「つまらない」と思えてしまったのでしょう。板垣退助の支援を受けて上京し、政治的な活動に身を投じます。そこで出会ったのが、自由党の幹部・後藤象二郎の子分、小林樟雄(こばやし くすお)でした。小林は過激な活動をする男でしたが、英子はその怪しさに虜になり、同棲をはじめました。知的な政治的活動と性的な喜びに溺れますが、小林の指示によって爆弾入りのかばんを持ち歩いているところを逮捕されたりもします。愛のためなら、何でもしたのです。しかし、実は小林は大の女好き。英子が刑務所に入っている間に、何人もの女性と付き合っていました。結局、英子は愛想をつかして別れることになってしまいます。

愛人生活に溺れ、ツバメを囲うようになっていく女

次に英子が付き合ったのは、同じく自由党の大物・大井憲太郎。大井には妻がいましたが、「すぐに別れるから」と言われて身体をゆるしました。大井との性生活はとても充実しており英子には何の不満もありませんでしたが、困ったことになかなか結婚できません。いつまでも愛人のまま。実は大井は妻と別れないばかりか、他に何人もの愛人がいたのです。美貌の才女は、またしても男で失敗をしてしまいます。

そして、今度はアメリカ帰りの法学士・福田友作と深い関係になります。政治家と違い、福田はやさしい好青年。前の男たちにさんざんもてあそばれた英子は、ようやく誠実な男性と出会ったのです。性生活も盛んで、ぽんぽんと三人の子をもうけます。ただ、福田には定職がありません。結局は別れることになりました。

その後、英子は評論家として有名になりますが、誰かの愛人になるのではなく、自分の稼ぎで若い男を愛人にするようになりました。それまで男性の特権であった「愛人を囲う」ということを、女性の英子が実践したのです。

英子が最後に付き合ったのは、石川三四郎という青年。性生活をのぞけば特に才能のない男でしたが、英子にとっては大切な人。しかし、残念なことに、石川は英子を捨ててフランスにいってしまい、彼女は一人ぼっちの不遇な晩年を迎えることになりました。明治の「新しい女性の生き方」は、必ずしも幸せに結びつかなかったようです。

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