小泉八雲の妻はただの安い愛人!?

「耳なし芳一」などの「怪談もの」で知られる小泉八雲。元の名前はラフカディオ・ハーンというギリシャ人です。新聞記者として活躍し世界中を旅してまわっている中で、日本を訪れました。当時、アジアの国に滞在する西洋人たちの間では、「テンポラリーワイフ」(かりそめの妻)を持つのがはやっており、八雲もその流行に乗って、家政婦を兼ねた娼婦を雇うつもりで小泉セツと結婚したのです。何年か後に帰国する折には捨て去り、きれいさっぱり忘れてしまおうと考えていたのです。ところが、セツはただの便利な愛人にとどまりませんでした。精神的にも性生活面でも八雲を虜にしてしまい、結局彼はそのまま日本に永住することになったのです。

日本人妻とは、はいさようなら、が常識だった!?

明治時代に西洋から日本を訪れ長期滞在した独身男性たちは、さまざまな不便に遭遇しました。文化や生活習慣の違いから日常に不自由をきたしますので、家政婦が必要になります。また、性欲処理も重要な問題です。性生活については女郎屋を使うという方法もありますが、毎日というわけにはいきません。そうした課題をうまく解決する方法として、「妻をめとる」ことがはやったのです。

妻と言っても生涯をともにする相手ではありません。日本滞在中の数年間だけ、身の回りの世話をしてくれて、夜はベッドを伴にしてくれる。帰国する際には、あとくされなく別れてくれる。そんな「夢のような女性」が日本では「安く手に入る」と言われていたのです。「お菊さん」のピエール・ロティも、「蝶々夫人」のジョン・L・ロングも日本滞在中に便利な「妻」を雇い、いい思い出をたくさん作って「はい、さようなら」と帰国してしまっていました。

八雲(ハーン)も、先輩たちからそうした「おいしい話」を耳にしており、いい人を買おう!と考えていたのです。弟宛の手紙には、「日本では一人の女性を雇うのに、わずか月額6ドル50セントしかかからないんだよ」と書いています。1日あたりおよそ20セントで、家事全般をこなし毎日夜のお相手をしてくれるというのですから、確かに安かったのでしょう。

いいとこのお嬢さんは、気立てがよくて床上手!

小泉八雲は、日本人妻として良家の娘を望みました。せっかく金を払うなら、安っぽい女ではなく、美人で教養があり育ちの良い女性にしようと。ただ、なかなかそんな条件に合う女性は「結婚」はしてくれません。そこで、たまたま見つかったのが、武士の娘でありながら結婚に失敗して出戻っていた、小泉セツだったのです。セツにしてみれば、没落武士の出戻り娘が食べていくには、外国人の妻でも仕方がない、と考えたのでしょう。

八雲は当時すでに41才。離婚歴があるといっても妻のセツはまだ23才。かなりの年の差です。40代と言えば、そろそろEDに悩みバイアグラのお世話になり始める男性が多くなる年代です。八雲も性的な活発さを失い始めていましたが、セツとの結婚で春がよみがえります。一度結婚経験のあるセツは夜の生活の経験も豊富。八雲をメロメロにしてしまいました。

結局、八雲は54才で亡くなるまで、日本にとどまることになりました。日本語があまり上手ではなかった彼の作品執筆のほとんどに、セツがかかわっていたと言われています。セツが小泉八雲を生んだといってもいいのかも知れません。

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