江戸文化からみる日本人の性意識

「江戸時代の銭湯は混浴が当たり前だった」と聞けば多くの方が驚くのではないでしょうか?「恥ずかしがり屋の日本人」または「貞操観念の高い日本女性」というイメージもあり、日本人はセックスに対してもどちらかというと消極的な姿勢と思われがちです。しかし、江戸の風俗や文化に触れてみると、日本人ほど性に開放的で、アグレッシブな民族はいない、ということが分かるでしょう。ここでは、江戸時代の「銭湯」と「春画」から見えてくる江戸時代の性事情を考えます。

羨ましい!混浴が当たり前の銭湯

江戸時代は、銭湯文化が華開いた時代でした。江戸、つまり東京の下町は、狭い地域にたくさんの家屋がひしめていいます。そうした町設計は江戸時代からで、当時は木造家屋。薪でお湯を沸かした際、火の不始末で火事になると一気に延焼し、町がまるごとなくなるなんてことも日常茶飯事でした。

そうした事情から、各家庭でお風呂に入るより、大衆が1カ所に集う大浴場が繁盛しました。しかも混浴同然に男女が入浴していたとのこと。男女関係なく、裸体を見せ合いながら湯船につかっていたというのですから、こんな羨ましい話はありません。

それにしても、気になるのが女性の感覚です。当然そこには若い生娘もいたでしょう。その子達は、男性の視線にさらされながらまぶしい裸体をさらけ出すことに、何の抵抗も感じなかったのでしょうか?まさか、当時の女性は男性の性器などに興味津々で、むしろ喜んでいた?とか…。今となっては想像で推し量るしかありません。

もう一つ気になることは、「男女が裸を見せ合って、トラブルとか起きなかったのだろうか?」ということです。大人の男と女が生まれたままの姿で同じ湯船につかっているのですから、何も起こらないというほうが不自然でしょう。実際に、大衆浴場でいかがわしいトラブルや問題は頻発したみたいで、こうした風紀の乱れをただすために、1791年(寛政3年)の寛政の改革では混浴の禁止を命じるお触れが出されました。やはり、時代が違うからといって、男女の本能は変わらないみたいです。

見ているこちらが恥ずかしくなる江戸の春画

江戸時代に一大ブームを巻き起こした春画も、日本人の性意識を考えるうえで興味深いものがあります。葛飾北斎や歌川国芳といった当代一流の絵師たちが、こぞって男女がまぐわう画を描き残しています。

例えば、葛飾北斎の「萬福和合神」という艶本に描かれた表紙絵。男女が仲良く連れ立っているのどかな風景ですが、よく見るとそれぞれの顔が性器になっています。シュールでありあんがら、超ストレートな書きぶりには、脱帽するしかありません。

また、歌川国芳が手がけた「葉古与見(はなごよみ)」は、若い娘が色男に性器をまじまじと観察され、ひどく恥ずかしがっている様子が伝わります。露わになった女性の膣は、画でありながら生々しく、艶っぽい温度感がにじみ出ています。その左上には、そっぽを向いてたたずむ猫の姿が。卑猥の中にも温かなユーモラスが潜んでいますね。

昔の日本人は、性に開放的だった?

このように、江戸時代に流行した風俗文化に触れてみると、性に対して奔放な日本人の意外な一面が垣間見られる気がします。今を生きる私たちにも、こうした日本人のDNAが眠っていると考えると、恋愛や異性に対する意識も変わってくるかもしれません。

Copyright(c) 2013 日本の歴史に見る恋 ~平安時代から近代までの日本人の恋愛模様 All Rights Reserved.