激しい愛を貫いた与謝野晶子

明治時代、伊藤博史が政財界一の絶倫男だったとすれば、文学界一の性豪は与謝野鉄幹。少年時代から奔放な性遍歴の持ち主です。18才で高校教師となるとすぐに教え子の浅田信子と肉体関係を結び、妊娠もさせました。出産した子供はすぐに亡くなりますが、同時に別の教え子・林滝野とも男女の関係を結び、教え子二人との性的関係を長年継続しました。

夫・鉄幹の性技に溺れ、髪振り乱す性行為の中から、次々と奔放な性的短歌が生み出されたのでしょう。「乱れ髪」とは、まさにセックスのあとの女の髪姿のことです。

夫・与謝野鉄幹は凄腕の好色家

浅田信子とは結婚しますが後に離婚、林滝野と同棲・結婚して子供も作ります。10代の娘二人との性的関係は同時並行であり、鉄幹は常に二股をかけていたことになります。その他にも、女郎屋などで数多くの女性と性交渉をもっていましたので、性的にはとても強い男性でした。

鉄幹は、こうした素行不良がもとで学校を首になり、上京して歌人を目指しました。雑誌「明星」を主宰して、北原白秋や石川啄木などの才能を発掘します。一方で、若い女性歌人の性的魅力も次々と発掘しますが、手をつけた女性の中で最も性的相性の良かったのが晶子。不倫相手である鉄幹との性行為の魅力に溺れた晶子は、猛烈に鉄幹を口説きます。そうして鉄幹は、妻・林滝野を捨て晶子と結婚しました。

しばしば、晶子がその情熱ゆえに鉄幹を妻から奪ったかのように言われますが、実際には鉄幹はいろんな女性に手を出しています。鉄幹の性行為の相手としてもっとも具合が良かったために、晶子が選ばれたというのが本当のところかもしれません。

バナナを挿入したりもしていました

晶子と鉄幹のあいだには12人子供ができました。避妊技術の発展していない時代ですので、子どもをたくさん作る家庭が多かった時代ではありますが、12人は多い方でしょう。一人は生まれてすぐに亡くなりましたので、育てたのは11人です。性行為はふたりの間の愛の証でもあったのでしょう。

美しい短歌を発表する傍ら、家庭内での性行為にはさまざま工夫をしていたようで、ある学者にインタビューされ、性体験について聞かれると、「晶子の膣にバナナを挿入して、翌日まで入れっぱなしにしたものを取り出して食べた」と答えたそうです。

与謝野鉄幹・晶子夫妻は、強い性的魅力で結ばれたカップルでした。それを歌に描いて、晶子は明治を代表する歌人となりました。

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